親に対してこんな感情をもっていいのかな?
ここまで育てくれたのに…。
「たとえ毒親であっても、罪悪感を感じてしまう…。」
そういった毒親育ちが多いんではないでしょうか?
いざ、毒親から離れようにも罪悪感を抱えてしまい、「毒親から離れられない…。」という人は意外と多いと思います。
今回はそんな毒親育ちに対してどうやったら、そのような厄介な罪悪感を払拭できるかを解説しようと思います。
どうも、サトウベアーです!(@KmoWyxoTbqIn70Q)
今回は「毒親に罪悪感を感じる必要がない理由」についてお話ししたいと思います。
毒親に育てられたのは一つの事実。
まず、「親に育ててられて感謝している」という気持ちを、
無理に抑える必要がないということを伝えたいと思います。
毒親育ちの中には「毒親に感謝しなくていい!」とアドバイスする人もいますが、
たとえ毒親でもあっても、実際大人になるまで育ててくれたのですから、感謝の気持ちを伝えること・持つことはなんらおかしいことではありません。
「〜してもらったから、感謝する」
人間として当然の感覚です。
育ててくれたことに感謝の気持ちを伝えること・持つことに違和感を持つ必要はないのです。
感謝の気持ちはただ伝えるだけでいい。
しかし、ここで注意したいのが、
「親が育ててくれたから。」「お金をかけてくれたから。」といって、
あなたの意思や言いたいことは我慢しなくてもいい言うことを伝えたいのです。
というのも、
毒親の中には毒親育ちが感謝の気持ちを伝えると…、
親に感謝しているなら、親の言うことを聞け!
そう言って、自分の子どもに罪悪感を抱いたり、義務感を感じさせて、
「親孝行」と称して子ども本人の意思を無視し、まるで自分の私物・奴隷にしてしまう毒親がいるからです。
なぜ毒親育ちの中に「毒親に感謝しなくていい!」とアドバイスする人がいるかというと、
こうやって罪悪感を利用されて、毒親に都合の良いように使われないために助言してくれているんですね。
たしかに親が育ててくれたのは事実かもしれませんが、
「それはそれ。これはこれ。」です。
育てられたからといって、親へ感謝しているからといって、親の言うことは聞く必要はないのです。
「親への感謝の気持ち」と「親の言うことを聞く必要性」それぞれ分けて考える必要があります。
「親への感謝の気持ち=親の言うこと聞く」というは毒親から植え付けられた価値観・毒親育ち特有の思い込みにすぎません。
あなたは誰のモノでもない。あなたは”あなた自身のもの”。
たしか言われてみればそうだけど、なんか引っかかる…。
毒親育ちにしてみれば、なにか違和感を感じるでしょう。
だって幼い頃から、「育ててもらったかわりに子は親の言うことは聞くものだ」そう教えてられて育ってきたのですから。
いや、思い込まされてきた・洗脳されてきたと言ってもいいでしょう。
しかし、よく考えてみてください。
そもそも、あなたは心も持たない「モノ」ですか?
違いますよね。あなたは嬉しさも悲しさも感じる心を持った一人の人間です。
たとえ親があなたをこの世に産み落とした存在でも、大人になるまで育ててくれたとしても、あなたは親の「モノ」でないのです。
だって、あなた産まれた時から意思を持たない「モノ」ではなく、
意思を持った”一人の人間”なのですから。
いいですか?
あなたは”すべて自分の意思”で決めていいんですよ。
あなたがどこへ行き、どこに住んで、誰と付き合って、なにをするのかも、あなたの自由なのです。
親から押しつけられた価値観でなく、あなたがどんな価値観を持つのかも自由なんです。
あなたは誰の所有物ではありません。あなたは”あなただけのもの”です。
あなたは親の「モノ」はではなく、意思を持った一人の人間なんですから。
親孝行はあなたが生まれた時点で既に済んでいる。
でも中には、
育ててもらったからには、親孝行が必要なんじゃないの?
と思う人もいるでしょうが、でも私はそうは思いません。
だって、誰もが生まれた時点で既に親孝行は済んでいるのですから。
というのも、
愛というのは”与える”、それだけで満たされるものだからです。
我が子に愛を与えるだけで親は満たされているので親孝行はすでに終わっているんです。
綺麗事なんかじゃありません。
たとえば、
あなたは大切な人・好きな人になにかプレゼントする時なにか見返りを求めるでしょうか?
見返りを求めることよりも、相手をことを考えて渡す前にいろんな想像をするのではないでしょうか?
「どうすれば喜んでくれるかな?」
「どうすれば受け取ってもらえるかな?」
選んでいる途中でちょっとワクワクしたり、ドキドキしたり…
それが「愛」なんです。
愛というのはそういったプレゼントみたいなもので、渡す前に見返りなんか求めていません。
ただ相手に渡すだけで心が満たされるものなのです。
毒親の語る愛は偽物です。
愛は見返りを決して求めません。期待しません。
毒親は場合は最初から見返りを求めているので、それはもはや愛ではないのです。
お前を産んだのは誰だと思っているんだ!だから、親孝行をしろ!将来は親の面倒をしっかりみろ!
こう言ってくる親の「愛」は偽物です。
「〜してもらったから、〜をする。」
毒親の語る愛、もはやそれは取引・契約の類なのです。
そこに愛ではないのです。
言葉で語る愛ほど信じられないものはない。
言葉で愛や恩について語ってくる人ほど気をつけたほうがいいです。
言葉ではいくらでも出まかせを言えます。
では何を信じたらいいのか?
それは行動です。
行動というのは誤魔化しが効きません。
その人を愛していれば自然と行動に現れるし、逆に愛してなければ行動は伴わないのです。
考えてもみて下さい。
本当に子どもをことを考えるなら、家に縛りつけるようなマネをするでしょうか?
本当に子どものためを思って考えるなら、
将来自分の力で生きていけるように、たとえ寂しくても子どもの自立を応援するというのが親の愛というやつではないでしょうか?
毒親は子どものためではなく、自分のワガママのために愛という言葉を利用しているのに過ぎないのです。
「愛というのは言葉で語るより、行動に現れる。」
あなたもそう思いませんか?
愛について言葉で語るやつほど、
「愛」という言葉を利用して、搾取・支配してこようとしてくる人が多いので「愛」を連発してくる人には気をつけたほうがいいのです。
親に対して嫌という気持ちはむしろあって良い。
親に対して不満をもつ、拒否をするというのはむしろ良い兆候であると思うのです。
だって、親の意見に言いなりになるのではなく、
一人の人間として自分なりに考えて、意見を出せるようになったんですから。
子どもから大人へ成長している証拠です。
これは自立のための第一歩と言えるでしょう。
自立している人なら親に対して不満を持つ、拒否するというのは誰しも通る道です。
”遅めの反抗期”とでも言えばいいでしょうか?
これからの人生をより良くしていくためには、自分に素直になる・今まで蓋をしていた自分の感情を解き放つことが一番大切なんです。
決して簡単な道のりではないですが、それが自分で選んで生きるという道に繋がっていくと思います。
ですから、親に反抗するのは当然の反応であり、毒親に負い目や罪悪感を感じる必要はないんですよ。
今回の一言まとめポイント💡
一人暮らしや親元から離れて暮らす時に毒親に反対され、
たとえ毒親であっても、毒親育ちは優しい方が多いので罪悪感を感じてしまう人が多いと思います。
しかし、そんな罪悪感を持つ必要はなくて、親から離れて暮らすようになるのは人間なら誰しもが子どもから大人になる過程で通る道です。
それがあたり前であり、一人の人間として成長している証拠です。(毒親はもちろん快く思わないでしょうが…)
決して親不孝なことはないんですよ。
今回の記事はこれで以上です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
一刻も早く毒親から解放されて幸せな人生を生きましょう!それでは!